承認
恐るべし、リフレーム!(アカデミー研究員高校教員)
最近、自己肯定感の低い生徒が多いことを感じます。進路指導で、「自分のいいところを伸ばそう」といっても、「自分はいいところはありません」と真顔で言う子が多いのです。」
そこでわたしは、自分の長所はないと言い張る生徒に対し、学習コーチングで習った、」「リフレーム」を活用してみました。「じゃあ、君の嫌いなところは?」
するとその生徒は、「わたし頭おかしいから・・」と言います。そこでわたしは、「ちなみに、君は将来何になりたいの?」と聞くと、「別に・・・」と彼女。
そこでも、研修で習った「枠を取っ払う」という発問を使ってみました。「なんにでもなれるとしたら?」。彼女は答えました。「介護士かな」。
そこでこう続けて聞きました。「じゃあ、介護士になるにあたって、頭がおかしいことがプラスに働くストーリーって、考えられない?」。すると「・・・。わたし、汚いものでも、汚いと思わないんです」と、彼女。
これですべてがつながりました。わたしは彼女の目を見て、こういいました。「それって、すごいことじゃないか。介護士になりたいと言う生徒の多くは、“おばあちゃんや、おじいちゃんの笑顔が見たい”というようなことを言うんだ。でも、実際の現場はそんなに甘いものじゃない。汚物の処理で大変なんだよ。でも、君だったら、汚物を処理するときでも、きっと笑顔で処理できるんじゃないかな?」
彼女は少し笑顔を見せながら「そうかもしれません」と言いました。そこで間髪いれずにこう付け加えました。「先生が介護施設の責任者だったら、君みたいな生徒はたくさんほしいと思うだろうな」
するとそれまで机に寝そべって聞いていた彼女は、背筋を伸ばし、こういいました。「ありがとうございます!」
その後、彼女は自分で介護関係の施設のHPにアクセスし、いろいろと調べ始めたのです。
自己肯定感の低い生徒への、リフレームは機能すると思いました。ありがとうございます。
自分では気づかない変化を承認される(大学職員)
学習コーチ中級に臨んでいます。まもなく3ヶ月になります。この間、取り組んだテーマについて、わたしの思うような結果がまだ得られていません。そのいらいらする思いをコーチに話しました。
するとコーチから次のような言葉が返ってきました。「xxさんは自分の思うような成果がでないことにストレスを感じているんですね。でもね、3ヶ月間xxさんのコーチをしてきたわたしの感想は、xxさん、確実に進化していますよ。ただ、そのスピード感が、xxさんのイメージするものと違うから遅く感じているんだと思います。大丈夫、ちゃんと前に進んでいますから、このままいきましょう」。
その言葉を聞いて、涙がでそうな想いでした。思うような結果が出なくても、その間の努力をちゃんと見てくれるコーチがいると、前に進めるんだと思いました。
この体験を今度は、わたしと出会った子どもたちにもしてもらおうと思います。ありがとうございました。
調査書開示で、生徒が激変(高校教員)
先日、学習コーチングの研修で学んだ「承認」について、10年前にあった話を思い出したので、ご紹介します。(もう、時効だと思うので)
わたしの生徒で、とても生意気でなにかと口答えする生徒がいました。わたしはどうしてもその生徒だけは好きになることができませんでした。
しかし、そこそこ成績は良かったので、推薦入試を受けたいと希望を出してきたのですわたしは、渋々彼の希望を受け、調査書を書きました。
調査書の内容は生徒に見せてはいけないことになっていますが、当時のわたしはまだ若かったので、なんとか実績を上げたいと思い、その書いた内容を生徒に見せて説明したのです。
当然、悪いことはかけませんから、いいことばかり。すると、その生徒は黙ったまま目に涙を浮かべ始めたのです。「・・・。先生、僕のことをそういう風に思っていてくれていたんだね」と。
正直、わたしは「方便」を使ったわけですが、そうとも言えず、「そうだよ」としか言い返すことができませんでした。
変化が起きたのはそれからです。彼はそれ以降、なにかとわたしにその日あったことを報告してくれたり、「なにか手伝うことはありませんか?」と聞いてくるようになりました。
わたしは、うれしいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちで彼と接しましたが、内心、「こんなことだったら、もっと早く彼のことを承認してあげればよかった」と反省しました。
どんな子も、承認されてうれしくないわけがありません。是非、みなさまも、問題行動のある生徒には、まず承認から入ってみてはいかがでしょうか。
相槌の効果を体験(高校教員)
アカデミー研究員です。先日、ある生徒とスカイプでセッション(音声のみ)をしていたときのことです。彼女はいつもどおり、生活のことや学習ことを報告してくれていました。わたしもいつもどおり、「うんうん」「それで?」などと、承認と質問を繰り返していました。
すると、徐々に彼女の話すトーンが落ちてくることに気がつきました。「あれ?おかしいな、どうしたんだろう」と思っておりましたら、彼女から「先生、聞いてます?」と質問されたのです。
「大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」といっても、反応がありません。よくみたら、わたしのマイクのコードがPCから外れていたのです。
あわてて接続しなおし、生徒にわびたことは言うまでもありません。
学習コーチングで学んだ、相槌や質問が、いかにコミュニケーションの潤滑油になっているかということに改めて気づかされました。
特に相手の顔が見えない電話などのコミュニケーションでは、面談以上に「あなたの言うことをちゃんと聞いているよ」というサインを送らなくてはいけないなと感じました。通信制高校の教員は、一般校以上にその点に気を遣わなければなりませんね。
見守られているという安心感(アカデミー研究員)
学習コーチアカデミー研究員をしております。わたしは、自分が受けた承認についてご紹介します。
中学校のころ、わたしは一生懸命勉強しておりましたが、なかなか数字に表れてきませんでした。努力をしていることは周囲の目にも明らかでした。わたしは次第にいらいらするやら、落ち込むやら、落ち着きがなくなっていました。
ある日、そんなわたしを見ていた担任が優しく次のように声をかけてくれました。「君は今、学習大地を築いている時期なんだね」と。
わたしはこの一言ですごくほっとしました。成績は上がらないけれども、この先生はちゃんとわたしのことを見ていてくれる。いまは、大地を築く時期なんだと。
どんなに苦しい状況にあっても、たった一言、こういう承認の言葉があれば前に進めるものだと感じました。
好奇心こそが、最良の承認(小学校教員)
本校で研修を受けて、周囲の先生方がどういうコミュニケーションをとっているのか、気になりはじめ、観察をしています。
ある日、一人の先生が5年生の子どもと話しているときのことでした。彼は週末に家族と一緒に、新しくできた近所のアウトレットパークに行ったことを楽しそうに先生に話していたのです。
わたしがそこで気づいたのは、その先生が、子どもの話をとても楽しそうな表情で共感し、質問していることです。
研修で、バックトラッキングや承認のスキルは学びましたが、はたして自分はその先生のように、表情まで気を遣って、承認を現わしているだろうかと気になりました。
後でその先生に聞くと、彼もずっとそのアウトレットパークには行きたいと思っていたみたいで、自然に好奇心となって質問しただけだというのです。
研修で講師が、「子どもにとって一番つらいのは、怒られることじゃない。無視されることだ」と言われていたのを思い出しました。そう考えると、相手に対して好奇心を持つことが、最高の承認になるのかもしれませんね
信頼関係を急いで築く危うさ(アカデミー研究員高校教員)
不登校の生徒と向き合い、失敗した経験を紹介します。他山の石としてください。
その生徒はちょっと気難しいところがあり、前籍校でも先生が対応に苦慮していたとのことでした。
わたしは相手のことを知るために、無人島の質問をぶつけてみました。すると、彼女の発した五つの答えの中に、「ビューラー」という答えが返ってきました。
女子生徒の中には、「化粧品」と答える生徒は何人かいますが、具体的に「ビューラー」と答えた生徒は初めてだったので、「どうしてビューラーなの?」と聞くと、「米国の女の子の友達の影響かもしれませんね」と。
彼女には、1年間、米国の高校に留学した経験があったのです。
わたしはそこで、承認の意味で「変わってるねぇ~。そういう発想は日本の高校生にはないんじゃないかな。面白いなぁ~」と伝えました。
その場はそういった会話で終わったのですが、それ以降、彼女はわたしからの電話やメールには一切答えなくなったのです。
後日、お母さんから聞いたところによると、「あの先生は、わたしの価値感や人間性を勝手に決めた」として、違和感を覚えたそうです。その後、コーチを変えて欲しいという申し出があり、彼女とはそれきりになりました。
当時は、「あの生徒は人間不信だから仕方がなかった」と、自分に言い聞かせていました。
ところが、先日テレビでアーチストのアンジェラ・アキさんの特集をしていたとき、次のようなコメントがあり、ハッとしました。
「わたしはハーフだから、小さいころからずっと、いろんな人から“あなたは目鼻立ちがはっきりしていていいね”とか言われ続けていました。その人たちが褒める意味で言っていたことは分かっていたけど、わたしには苦痛で仕方がなかった。わたしは、周りの友達と一緒の制服を着て、一緒に見られたいといつも思っていた」と。
個性が求められる時代だから、人と違っていることは最大に武器になるわけですが、人の背負ってきた背景によっては、必ずしもそれが承認にはならないことに気が付きました。
教員と生徒は最初にボタンのかけ違いをすると、なかなか修復が不可能です。特に難しい生徒には、一気に距離をちじめるより、多少、物足りなさを感じてもらうくらいに、時間をたっぷりかけて距離をちじめるべきだと感じました。
Iメッセージは、自己変革を迫られる(中学校教員)
研修で習った「Iメッセージ」の承認を試みています。すぐに生徒に変化が現れているわけではありませんが、自分の中で変化があります。
研修でも触れていましたが、いままで「YOUメッセージ」で承認できていたことが、いざ自分を主語にして承認すると、相手の目線にならなければなりません。
最初は違和感がありましたが、慣れてくると、なんとなく生徒と同じ目線になれる自分がいます。
「あ~、この生徒はきっとこういう気持ちなんだろうなぁ」と共感することができるようになりました。つまり、いままでの「YOUメッセージ」には、共感がなかったのではないでしょうか。
親コーチングの難しさ(アカデミー研究員高校教員)
2学期に、教科書の内容に関連して,自分の「先入観」について考えるという授業をした。 自分が自分以外の人・ものに対して持っている先入観を考えた後、自分自身に対するマイナスの先入観についても考えてもらった。発表をしてもらうなかで複数出てきたのが、
「親に『どうせあなたには無理よね』と言われたので、無理だと思ってやめてしまった」 「親に『あなたは頑張りがきかない子だ』と言われたことがあるので、私は頑張れない子だと思っている」などという、親からのひとことによって作られた、自分自身へのマイナスイメージだった。
実は私も、あまりにも国語ができない小学校高学年の頃の長男に対して、「なんでこういう答えになるのか全く理解できない!」「信じられないほど国語ができない!!」などの言葉を、勉強を見ながら何度も浴びせていた経験がある。つい我慢できずにガーツと言い、そして自己嫌悪、の繰り返し。
その息子が中2の頃、塾の先生に、「どうも自分の国語の解答に自信が持てないでいるみたいなんですよ…。」
と首をかしげられた。国語はどうせできないから…。息子はそう思い込み、またそれを自分に対する言い訳にもしてしまっていたのだろう。私はその時になって初めて、自分が使ってきた言葉の罪を思い知らされた。仕事では使わないきつい言葉を、わが子には使ってしまう。先日のあるセミナーでも、多くのお母さんたちが言っていた言葉だ。
わが子とのコミュニケーションは、わが子であるがゆえの難しさがある。期待、思い込み、価値観、甘え、いろいろな親の気持ちがごちゃまぜになってわが子に向かっていく。
「私の子どもなんだから、これ位当然できるはずだよね!」「私の価値観からすれば、ここは当然こう行動すべきだったでしょ!」「何度も言っているのにお母さんの気持ちがなぜわからないの!?」怒り続けているときの私は、このような気持ちが凝縮されて硬くなっているボールを、次から次へと、自分が投げ疲れるまで思い切り子どもにぶつけ続けているイメージだ。
コーチングではよく、「コミュニケーションはキャッチボール」というが、これでは、キャッチボールは全く成立していない。あのとき息子は、ただ、投げられるまま、体にぶつけられるままそこにいるしかなかった。
どういうボールで、どういうキャッチボールを子どもとしたいのか。授業は、そんなことをもう一度考えてみるいい機会にもなった。
可能性を倍にしてくれた承認(アカデミー研究員高校教員)
教壇に立ってきた私をずっと支えてきてくれた言葉のひとつに「あなたは先生になりたいらしいわね。あなたならやれるわ。社会の先生になりたいらしいけれど、国語の先生でも十分やれると思うわよ」という高校時代の恩師(国語科)の言葉がある。
高校生のときに反抗期が結構激しく出た私は、世間でいうところの「不良」というレベルではなかったが、校則違反や態度の悪さが重なり、親も複数回校長室に呼ばれているような生徒だった。
そういう私でも、というより、そういう私だからこそのいろいろな思いが重なり、(長くなってしまうため、その理由は今回は省略…)高3の夏休みの前頃に「教員になる」という意志を持ち始めた。
いつも注意ばかり受けているような生徒であったから、そのような私の意志は、先生方には鼻で笑われてしまうだろうと思っていたのだが、ある日言われたのが、あの言葉であった。
自分の選んだ道を、ベテランの、教養あふれる授業をされる先生が「やれる」と言って下さったことだけでなく、「国語の教員になる」という選択肢は全く持っていなかった私に、「こっちの選択肢でもいけるわよ」と道を2倍にして見せて下さったこと。これが私に大いに自信を与えてくれた。
目標のさらに先を見せる、道を2倍にして見せる、など、コーチングのスキルも大いに活用しながら、目標がある生徒に対しては、さらにエネルギーを与えるような言葉がけのできる教員になることで恩返しができるだろうか
「証人」であることが「承認」になる(アカデミー特別研究生)
私は、ティーチングだけでは、どうにもならない生徒でありました。「指示」をうまく聞くことができずに、いつも、見えないところでストレスを抱えていました。
それに従うことができなければ、当然、怒られてしまう。しかし、どう頑張っても、要領よくこなせず、いつも、周囲をイライラさせていました。そうならないように、必死で誤魔化す術ばかり学んでしまい、学校での学習という面では、どんどん遅れをとってしまいました。「頑張りたいけど、頑張れない」悔しかったです。
それでも、私は先生たちに『教室以外』では本当に暖かく対応していただけました。だから、先生たちには大きな尊敬を感謝の念を持っております。
しかし、教室では、結果が出せないと、やはり、疎外感とか自信喪失などのことが起 こってしまいます。プロセスに焦点が当たることはありませんでした。
私はなかなか、結果が出せなかったため、ひどく頭を抱えていました。もちろん、全て が、学習障害のせいだなんて、思っておりません。あくまで、学習障害とは、私の一部 分であり、私の全てではないからです。
しかし、「指示がうまく聞き取れない」「ルールがいまいち、理解できない」「文字の読み 書きがうまくできない」などということは、大きな負荷になっていたことを今でも忘れ ません。
いつも、周りの動きばかりを気にして動いていました。うまく先生の言うことが把握できずに周りの動きを随時確認しながらだと、とても勉強どころではなく、学校にしがみつくことで、精一杯だったのです。毎日、過度の緊張をしながら、学校生活を送っていました。
わたしのコーチは、『教育』の「育」はコーチングとおっしゃいました。ティーチングとコーチングの両輪どちらが欠けてもいけないと。そのコーチングこそ「プロセス重視」なのです。
もし、学校生活を送っていたときに、コーチの「承認」「棚卸し」があったならば、不登校になる前に一度、立ち止まって冷静に自分自身を見つめ、自信喪失の前に、「まだ、できることがある。」という希望を持って学校生活に挑めたのではないかと思います。
不登校になり、学校という行き場しかないと思っていた私は、真剣に「生きること」について、考え始めました。しかし、「学校に行っていない」=「何もしていない」「怠けている」というレッテルばかりで、その不登校の時期に何を思い、どうやって生き抜いていこうかと考えている自分は、まるで存在価値がないかのような感覚でした。
自分の胸の内を話しても、なかなか、「承認」してもらうことができずに全てが嫌になった時期がありました。今、不登校の子ども達に求められているのは、「生きていてもいい」という、人格をまるごとを承認してくれて、そして、その先に光を差し込んでくれる存在であると思います。
隣で寄り添ってくれる存在は、自分の歩いてきた道、現在歩いている道、今後歩いて行く道を確かに見届けてくれる、「証人」になると確信しています。
教育現場にも、「学校コーチ」の存在が現れてくれることを、心より願っております。