聞く
すべてを受け入れる(アカデミー研究員高校教員)
本校のスクーリングには、全国から生徒が参加する。その中の一人が、家庭的な事情で、重たい課題を抱えて地方から上京してきた。にも拘わらず、授業には参加しないまま音信不通に。
わたしは慌てて、会場となる学校近辺を捜索し、遊技場で遊んでいる彼を発見した。早速、その子の進路を意識したコーチングを行い、「高校を卒業したい」と熱望するその子の進路にとって、授業に出ることがどれだけ重要であるかを内省させた。
子どもも納得したように見えた。しかし、子どもは次の日も現れず、更に悪いことには、こちらからの電話連絡に応答しなくなってしまった。コミュニケーションそのものを拒否されたのだ。
その晩、妻から次のようにアドバイスされた。「その子のすべてを受け入れてみたら?」翌日彼の留守録にこう残した。「一昨日は、単位や学校のことばかりで、君のことはなにも聞いていなかったね。君にとっては、上京することだけでも大変なことだったのかもしれないね。学校のことより、君の生活について話をしようよ。持っている重たいものを聞かせてくれないか。泊まるところはあるのか?お金はあるのか?なにしろ君が無事だということだけでも分かればいいから、電話がほしい」。何度か同じメッセージを残すと、数時間後に電話がかかってきた。
わたしの「姿勢の変化」を理解してくれたのか、彼はわたしと再度面談することを希望した。彼はすべてを話してくれた。予想以上の重たい課題だった。
現在は、学習計画の軌道修正をしながらも、卒業を目指している。「すべてを受け入れたら?」の一言は、幾つもの「スキル」を吹き飛ばすほどの迫力を持っていた。
コーチングを意識すると、「次にどんないい質問をしようか」と、「スキル」に思いをめぐらせ、肝心の子どもの気持ちから目が反れることがある。今回の出来事で、「スキル」の前にあるべき「気持ち・姿勢」の重要さを再認識することとなった。
スキルより気持ちを(保護者)
先日は有意義な研修をありがとうございました。研修の中で「聞く」というプログラムがありました。その後、あることでカウンセリングを受けたときのことです。そのカウンセラーの聞く態度が、「いかにも」という感じで、違和感を覚えました。
なにかこちらが言うと、いちいち会話をさえぎり、「〇〇なんですねぇ~」とか、「xxさんは、すでに気持ちの整理がされているという風に受け取りましたが、いかがですか~?」と。
バックトラッキングや、言い換え等、正直、スキルが前面に出すぎて、あまり気持ちのいいものではありませんでした。
講師がおっしゃっていたとおり、「スキルの前に気持ちがなくてはならない」という言葉の意味が良く分かりました。この経験を生かしながら、子どもたちにはまずは受容の気持ちを強く持つことを心がけようと思いました。
沈黙は「金」なり?(中学校教員)
「沈黙」について、興味深い体験があったので、お伝えします。ある不登校の生徒と電話で話していたときのことです。彼は、入学早々不登校になったので、わたし自身、彼女のことはあまりよく知りませんでした。
そこで時間を見つけて訪問したりしましたが、その生徒は寡黙な子で、こちらが質問してもなかなか答えが返ってこないんです。30分訪問しても、会話は二言三言のみ。あとは、母親との話に費やされていました。
ある日のこと、電話で彼女と電話をしていたときのことです。わたしは進路についてどんな希望がるのかを聞いてみましたが、そういう子ですから、当然のごとく「別に・・・」と答えるだけです。
そこで、選択肢を与えることでヒントを得ようと思い、次のように聞きました。「たとえば、xxさんが好きな音楽の世界か、料理の世界だったら、どっちに行きたい?」。すると、いつもどおり、沈黙が続きます。
それまでは、30秒くらい待って返事が来ないと、すぐに違う質問をするなどして、いろいろと試していましたが、その日はたまたまわたしの体の調子が悪かったため、頭が回らず、沈黙の状態がいつもより長く続いたのです。
90秒くらいは続いたと思います。頭がボーとしたわたしですが、さすがにこのままではまずいと思い、次の質問を考え始めたときのこと。彼女が長い沈黙を破り、「・・・料理かな」と、ぼそっと返答したのです。
わたしはその出来事に衝撃を受けました。彼女は、会話ができないのではなく、沈黙している間、ずっとわたしの質問に答えを探していたということに気が付きました。
研修の中で、「人は、しゃべりながら考えを整理する人と、考えを口にせず、整理したあとで一言で答える人がいる」という言葉を思い出しました。彼女は明らかに後者のタイプなのです。しかも、それが人の数倍時間が必要なタイプなのです。
以来、彼女の沈黙には粘り強く対応しています。ある日、そのことについてお母さんとお話していたときのことです。意外な事実を聞かされました。
「以前、娘に対応してくれたカウンセラーの方は、娘の沈黙が待てず、“わたしのこと嫌いなのかな?”と一言娘に口にしたことがあります。それ以来、逆に、娘のほうからそのカウンセラーに気を使って、面会を拒むようになったんです。先生のように娘の沈黙に付き合ってくれる方だと、ちょっとづつ心を開いてゆけるのですけどねぇ~。でも、そんなのなかなかお願いできることじゃないし(笑)」と。
わたしはカウンセラー以上に聞き上手なの?と、内心うれしく思ってしまいました。もちろん、いつも沈黙を待てるほど余裕があるわけではないのですが、彼女の中に答えがあるものと信じ、これからも向き合ってゆきたいと思います。
生半可な承認は、逆効果(フリースクール主宰者)
わたしが主宰するフリースクールには、軽度発達障害を持つお子様が何人かいらっしゃいます。先日、小学校3年生の男の子と話をしていたとき、わたしの聞き方がいかにいい加減かということに気がつかされました。「〇〇君はオムライスが好きなんだよね」と確認すると、「違うよ、ぼくはお母さんの作ったオムライスが好きなんだよ」と言います。
それからしばらくして、彼が遊戯王が好きだということを聞いたので、「そうかぁ~、〇〇君は遊戯王のゲームが好きなんだね」と確認すると、「違うって!遊戯王のカードが好きなんだよ!」とはき捨てるように言われました。
わたしとしては、あまり大きな違いではないのですが、彼にとっては大きな違いのようで、そこが理解できないわたしは「物分りの悪い大人」としか見られていません。
相手の言うことを生半可に聞いて、繰り返すことで、逆に信頼を失うこともあるのだなと反省しました。
「話す」は、「治る」(高校教員)
わたしは通信制の学校に勤務するものです。本校のある生徒が、数ヶ月間もの間、経済学部に行くか教育学部に行くかを迷っていました。彼はセルフコースといって、自学自習をするコースなので、だれも相談にのってくれる人がいなかったようです。
たまりかねた彼は、以前授業で面識のあるわたしのところに尋ねてきて、彼の不安な気持ちを吐露しました。わたしは黙ってうなずき、彼の迷っている気持ちに共感して、ただただ、聞いてあげたのです。
すると不思議なもので、特になにかのアドバイスをしたわけでもないのに、彼は「こうやって聞いてくれる人がいるだけで、なんか違いますね」といって、すっきりとした表情をして帰ってゆきました。
研修で講師が教えてくれた、「話すは治る」という言葉の意味が分かりました。指導は生徒のことが分からないと簡単にはできませんが、聞くだけなら誰にでもしてあげられます。今後は、いい「聞き屋さん」になってあげようと思いました。