メンタリング
メンターコーチになる(アカデミー研究員)
一人の友人が数年前にボランティア活動の旗を上げ、有志とともに活動をしてきた。当初は多くの賛同者が集まり、お金も集まってきたが、年月の経過とともに人もお金も集まらなくなった。加えて、ボランティアの手を差し伸べようとした相手先との関係もギクシャクしてきた。
そんなときに友人から相談を持ちかけられた。「一回、会を解散しようと思うんですが、どう思います?」。わたしはコーチングの考え方である「答えはクライアントの中にある」を前提としたミニセッションを行った。
結果的に私のセッションが終了したときに、友人は「やはり、一度休会にします。次回の集まりでみなにはそう伝えます」と。さっぱりとした表情を浮かべた。
しかし彼の決意は、一人の発言により急転回する。人生の酸いも甘いも体験した80歳を超える長老が、会の解散を宣言した友人にこう言ったのだ。「ロウソクの火を付けて消す人はたくさんいる。しかし、一度付けた火を燃やし続けられる人は多くいない。君自身が付けた火だ。最後は自分一人でも燃やし続けるくらいの気持ちでやってください」と。
コーチとよく比較される存在に、メンターと呼ばれる人がいる。コーチの役割がクライアントの潜在的な能力を引き出し、プロセスに焦点を当てるのに対し、メンターは成功体験を伴う役割やモデルを他に見せることが出来、各分野で指導的役目を示す人のことをいう。
今回の80歳の長老は、友人のメンター的な役割を果たしたといえよう。そして、わたしのコーチングによる成果は、そのメンターの一言によって吹き飛ばされた。
コーチングを極めようとする人は、最終的にはメンター・コーチを目指す傾向にある。つまり、その両者ができ、都度使い分けができる存在だ。今回の経験は、わたしにメンター・コーチを目指す決意を促してくれた。
真剣に話せば、伝わる(同アカデミー研究員)
ある人気職種へ就職を志望する学生200人を対象に講演をしたときの話です。詳細は省きますが、なにしろ講演を80分して、最後の10分を質問タイムにあてた。
ところが、誰も手を上げない。わたしは腹が立ったのと同時に、このままではだめだと想い彼らに「喝!」を入れた。
「君たち、xx(業界で一番人気の企業)の競争率を知っているか!200倍だよ。って、ことは、このクラス200人受けて、通るのは一人ってこと。想像できるか?一番光る者しか通らないんだよ。二番目に光ったって落ちるんだよ。もう一つ言っておく。ちなみに、僕がxxを受けたときは、当時の中曽根総理大臣の紹介状を持った人間が80人いたと聞く。そう考えると、紹介状を持ってない人間を探すのが難しいくらいだ。君たちは、そんな競争に挑もうとしてるんだよ。講演の感想一ついえない者は、一次面接だって、とおりゃしない。こうい場でも、自分の考えや批判的な精神を持った意見を言える者じゃないと面接官の印象には残らないぞ!」
それで2、3人がやっと手を上げるくらい。これではだめだと思い、最後、もう一回「喝!」を入れた。彼らの何人かに、どんな就職活動してるのか聞いてみた。いわく、「面接の練習をしています」「会社の特徴を調べて、どういう人間を求めているのかを考えています」「先輩に、どんな活動して通ったかを聞いています」等々。
そこでこう言いった。「それは就職の技法だよね。つまりコーチング的に言えば、”DO”の部分。しかし、君たちは、xxや△△に入った後に、どんな自分になりたいのかというゆるぎない”BE”はあるのか?”BE”がなければ、どんなに”DO”を磨いても、見抜かれるぞ。面接官は立て板に水のように答える学生がほしいんじゃない。 緊張で震えながらも、魂から”これをして、こうなりたい”というものを持つ学生をほしがってるんだよ。”BE”がないなら、”BE”を探すことから始めろ。順番が逆だ!そんなんじゃ、面接官をうならせることなんかできないぞ!」
わたし自身は、どうしてもやりたくてその業界を希望した。中でも、わたしのやりたいことは、■■という会社しかなかった。背水の陣で臨んだ面接は、肩透かし。できレースだった。なので、就職面接がすんだ後、すぐに手紙を書いた。もう一回、5分でいいからちゃんと面接をしてほしいと。
すると、「こいつは骨のアルやつだ」ということで採用。当初、8人しか採用しなかったものが、わたしのこの行動で、9人に枠を増やしてくれたのだ。入社してみると、案の定、わたし以外の人間はみななんらかのコネクションがある。行動を起こした人にのみ、勝利の女神は微笑むのだなと、当時感じたものだ。(もちろん、みな優秀な社員であるが)
そういう経験があるからこそ、余計に彼らのふがいなさに腹が立った。みな、いいところの大学だ。品のよさそうな顔立ちをしている。しかし、誰一人として”BE”を感じさせてくれる人がいない。格好良く入社しようと思っているのか。そんな彼らの既成概念をぶち壊したかった。
かなりきつくいったので、わたしはそそくさと退散しようとした。すると驚いたことに、十数名のの学生が列を作り始めて、挨拶をしてくる。涙ぐむ学生も中に発見。終了後のアンケートの反応も想定外だった。
いわく、「初めて会うわたしたちに、あんなに真剣に向き合ってくれたことに感謝します」「とても熱くてやけどしました」「とても腹が立ちました。佐々木さんにではなく、自分にです。自分には”BE”がないことが分かった。悔しい。すぐに見つけます」 「いつか、あんたを見返してやろうと思う。わたしの名は◎◎です。覚えておいてください」
この経験を通じて感じた。彼らは本気で向き合ってくれる大人を求めているのだなと。 もちろん、半端な気持ちで言うと、反発を買うだけだと思う。しかし、わたし自身、彼らに「喝」を入れながら、からだが震えてきたのを覚えている。なにごとも真剣勝負。コーチといえど、教えること、叱ることをためらってはいけないと。