発問
「好きなことは何?」に答えられない生徒も・・・
バイトをするなど、生活意欲はあるが、学習意欲の面で多少問題のある生徒と向き合った。教科書を使用する学習にはまったく興味を示さない。
そこで研修で学んだ生徒の資源の一つ、「興味関心ごと」を軸とした学習ができないものかと、聞いてみた。「君の好きなことは?」
「別に・・・」と彼。研修でいただいた発問シートの中にあった発問を利用した。「もしも、1億円あったらなにをする?」
彼は「そんなにお金があったら、北海道から沖縄まで、ラーメンの食べ歩きをするかなぁ~」と。食に対して関心があることが分かった。
そこで「たとえば、北海道は味噌味だし、九州はとんこつ味だよね。このあたりって、多分地方の文化によるものだと思うんだけど、そういうの調べてまとめてみない?」と水を向けた。
すると「そんなんでいいんですか?じゃあ、やってみます」と、こちらの提案を受け入れてくれた。
きつねにつままれたような感じだった。「好きなことはなに?」と聞いても答えられない生徒が、「もしも」の質問で彼の好きなことをしゃべりだす。しかも、即答で。
わたしはキャリアカウンセラーの資格も持っているが、学習コーチングで言うところの「資源を掘り出す発問」という視点はなかった。
カウンセリングのスキルに発問のスキルを加味することで、コミュニケーションの幅が広がるような気がした。
発問し、子どもの鏡となる(高校教員)
環境教育の世界には、「分ければ資源。混ぜればゴミ」という名言がある。学習コーチングでは、これとは逆のキャッチフレーズを提案したい。「分ければゴミ。混ぜれば資源」。
たとえば、服飾系の学部、または会社への就職を目指す生徒の場合であれば、「洋服がすきだから」という理由くらいは思い浮かぶ。しかし、それ以外の動機や志望理由がみつからないことがよくある。
かつて、このような進路を目指す生徒に、「たとえば、高校の制服ついてはどう思うか?」などの質問をしたら、「規則の範囲の中で、いかにお洒落をするかということに気を遣っていました」などという答えが返ってきた。すると、それは一つの資源となる。しかし、これだけでは使い物にならない。この時点ではまだ「ゴミ」である。
同じ生徒に、「好きなデザイナーは?」と聞くと、「山本寛斉」という答えが返ってきた。すると、「革新的な日本デザイン」というキーワードが浮かび上がった。これと、前者の「制服の着崩し」という二つのキーワードを掛け合わせることで、生徒の服飾に関する着眼点が「守ることと、崩すこと」であることが整理できた。この時点でようやく生徒にとっての「資源」となるのである。
この生徒は、その点を自分の中でまとめて面接に臨んだ結果、第一志望の大学に合格した。幾つかの質問から出てくる答えをコーチが整理してあげて返す。コーチが生徒の鏡となることで、生徒が自らの資源を発掘してゆくことができた事例だろう。
再受験失敗で、前向きに(大学教員)
わたしは大学の歯学部の教員であるが、学生の自己決定の効力について経験談をシェアしたい。面倒を見ている学生の一人が、様子がおかしい。ある日、見かねて声を掛けた。
「どうした、最近元気が無いがなにかあったの?」すると学生は次のように言った。「ぼくは、本当は医学部に行きたかったんです。このまま歯学部で勉強を続けて歯医者になるのは、本望じゃないんです・・・」。
わたしは受容と共感の姿勢で彼の気持ちを承認した後、「じゃあどうしたいの?」と、聞いた。すると、彼は思いのたけをしゃべった後、「やっぱり、もう一度親を説得して、来年の医学部の試験を受け直す」と、内省した。わたしは彼の意思を尊重し、具体的な行動計画を訊いていった。
学生はその日から毎朝4時に起き、ランニングを課した後、苦手な英語を集中的に勉強していった。その集中力には、周囲も目を見張った。そしてその結果・・・
残念ながら、彼の努力は実らなかった。医学部の試験に落ちたのである。大切なのはここから。わたしはその学生に聞いた。「今、どんな気持ち?」。すると、意外な答えが返ってきた。
「先生、ぼくはこれで気持ちがスッキリしました。やるべきことはやったし、思い残すことはありません。これで歯医者になることに集中できます!」。彼はそれまで以上に熱心に学業に取り組みはじめた。
研修で聞いた「未完了」という言葉。「部屋を掃除していない」「大事なメールに返信していない」といったことがそれだ。一つひとつを見ればたいしたことではないが、多くなってくると、目標達成に向けた行動の足かせとなる。いつも気にかかってしまうのだ。
だから、目標に向かうときには、これらの障害物を取り除いておく必要があるという。「未完了を完了する」ことだ。
前述の学生にとって、医学部への再チャレンジは、人生最大の「未完了」だったのである。わたしはその「未完了」に対する学生の気持ちを汲み取り、指示するわけでもなく彼の意思を承認した。
結果、不合格となったが、彼は自己決定し、自己責任をとり、現状に正面から向き合うことができたのだ。このとき、もしわたしが「もうここまで来たのだから、歯科医になるのが君のためだ」と、指示していたらどうだっただろうか。彼は一生歯医者の仕事に疑問を感じながら仕事をすることになっていただろう。
進路選択では、親や学校の意向と本人の意向がぶつかることが多々ある。アドバイスは必要だろう。しかし、最後に決めるのは、人生の主体者である学生自身であることを忘れてはならないなと確認した。
やろうと決めた!(高校教員)
3学期は、教室の上部にとりつけられているエアコンの温風が頭部に舞い降り、生徒にとっては、ついうとうとと眠気に誘われる時期でもある。
授業で、教科書の内容にからめて、眠いから寝るということが自由なのか、眠くても寝ないということが自由なのかを考えてもらう時間をとった。
発言してもらっているとき、「私は授業中には絶対寝ません」と断言した生徒がいたので、 周りの生徒の参考にもなるかと思い、眠くても寝ないで頑張れるのはあなたの中に何があるからできることなのかと質問してみた。
彼女曰く、「寝ないと決めた」からできるのだそうである。
「決めたことをやれないのは、自分自身に負けた気がして悔しいから」とのことであった。結構前から決めたことはやるという姿勢でやってきたらしい。「小さい時に、決めたことをやり通せずに悔しい思いをしたことがあったからではないかと思う」と本人は振り返っていた。
やろうと決めたことをやれずに自己嫌悪に陥ることがしょっちゅうの私は、「決めたことは必ずやれます」と、静かに、そして力強く言う彼女に心を揺さぶられ、以下のことを考える機会をもらった。
彼女のように決めたらやれる人がおり、私のように決めてもなかなかやれない人間がいる。「やれる人」と「やれない人」の間に、また、「決めたことをやれる時」と「決めてもやれない時」の間に、何が横たわっているのだろうか。
今、私が感じていることは、彼女にとって、「やろうと決めた」ということは「やる」ということ同義だが、私にとっての「やろうと決めた」には、「やる」だけでなく、「やろうと思った」や「やれればいいな」も含まれていたのかもしれない、ということだ。
そういえば、やると決め、実際にやるときの私も、腹をくくり、本当の意味で「やると決め」ている。そこには、「やろうと思った」「やれればいいな」というあいまいさはない。
やろうと決める=やる。このシンプルなイコールである。やると決めるときの彼女も、ここに揺るぎがないのだろう。
彼女の発言は他のクラスメートに刺激を与えただけでなく、「やろうと思う」と「やるという揺るぎのない決意」の間に横たわる溝、そしてその溝を埋めるためのコーチングの活用という視点を私に与えてくれた。感謝している。
次回からの授業や生徒とのやりとりに、この視点を活かしていこうと私は「決めた」。
目標設定は、肯定語で(小学校教員)
研修で学んだことが目の前で起こった。先日、友人が監督しているバレーボールの練習試合でのこと。ゲームはかなり接線で、ジュースにもつれ込んだ。友人のチームにサーブ権が移った。そのときである。「絶対に外すなよ」。選手のサーブはネットに引っかかり、相手に点数が入った。これで流れが相手にいき、そのセットを落とした。
研修中で講師が紹介された、大脳は否定語を区別できないと言われるものだ。「サーブを外すな」と言われ、そのサーバーは、自然にサーブを外すイメージをしてしったのではないか。
その後、すぐにわたしの学級目標を見直した。いくつかあるうちの一つに、「授業中おしゃべりをしない」というものがあった。
すぐに「授業中は先生の話に集中する」と書き直した。子どもたちに「どっちの目標の方が、毎日見ていてやる気になる?」と尋ねると、ほぼ全員が肯定語を使った目標のほうを選択する。ちょっとした言葉遣いで、モチベーションが上がることを確認した。
生徒の人脈に焦点を当てた副産物(高校教員)
土木関係に就職を希望する生徒が、数学の自由研究のテーマ選択に悩んでいた。わたしは自分のバイト経験から、すぐに「測量」をすればよいのではないかと頭に浮かんだ。
しかし、それでは学習コーチングの言うところの「他者決定」になり、モチベーションが半減するのではないかと思い、彼自身にテーマを発見させたかった。
そこで、彼の資源の一つである「人脈」に焦点を当てさせ、「じゃあ、そのことについて相談に乗ってくれそうな人は誰かいないかな?」と問うてみた。
すると、彼は「います。僕が少し前にバイトで世話になった土建会社の社長がいます」と。「じゃあ、どうする?」。彼に決定を促した。「今度のセッションまでにその社長に相談してきます」と言った。
次のセッション、彼は開口一番こう言った。「土建の社長に相談したら、この業界に入るんだったら、測量を勉強しておけといわれました。三角比を勉強するといいんじゃないかと言われました」と。
わたしの予想があたった。しかし、わたしが最初から「測量」を提案するより、彼が「人脈」という彼自身の資源を活用し、彼自身が聞きだした「測量」という答えの方が、何倍も価値があると感じた。
彼は次のことも報告してくれた。「その社長、社会の自由研究についても、僕がバイトで手伝ったお墓の工事について、お墓の作れるところと作れないところの法律的なことを学習したらどうかと言ってくれました」と。こちらが予想していなかった副産物だ。
過保護な母親への気づき(中学校教員)
わたしのクラスに発達障害を持った生徒がいます。彼はとてもナイーブな子で、口数は多くありません。
性格的なものもあるでしょうが、気になっていたのが母親の存在です。母親はその生徒をすごく心配していて、いろいろと学校や担任であるわたしにもリクエストしてきます。
もちろん、生徒のために参考になる助言や指示は受け入れているつもりです。しかし、その様子が少し度が過ぎていて、なにかと子どもの先回りをして自分が生徒になったような態度で、生徒の代弁をしてくるのです。
学習コーチングの研修のなかで、視点の転換や新しい発想を促すために機能する「もしも」の発問が紹介されていました。わたしはその母親が来校したときに、次のような質問をしました。
「おかあさんがxx君のことをご心配されていることはよくわかります。学校にいると分からないので、ご心配ですよね。(承認)でもお母さん、もうちょっとxx君に気持ちを表現させた方がいいと思いますよ」。
お母さんはこう言います。「先生のおっしゃることは分かりますが、あの子、自分ではなかなかしゃべらない子なんですよ。分かりますでしょ」
そこでこう発問しました。「たしかにそうかもしれませんね。でもお母さん、もしもお母さんが今日学校から出て家まで帰る途中に自動車事故にあって不幸にも死んでしまったら、xx君はどうやって生きていくんですか?」
お母さんはなにも答えられませんでした。その後、どうやったらその生徒がわたしに話しやすくなるかという問題解決に焦点が行き、きわめて建設的な懇談をすることができました。「もしも」の効果ですね。
コンテスト入賞で、自己決定の歯車が動く(高校教員)
ある生徒が、美術の自由研究で、洋服のデザインをテーマとしてよいか、聞いてきた。もちろん、それで問題はない。しかし、それだけでは十分ではないと思い、どうせなら、その作ったデザインをなにかのコンテストに応募させようと思い、提案した。
彼女は二つ返事で賛同した。わたしはそのコンテスト探しから、彼女自身に探させることから始めた。
偶然だが、たまたま彼女の愛読している雑誌にその手のコンテストの応募があった。時間的な余裕はなかったが、それに応募することに決める。
そこでもう一つ提案した。「どうせデザインするなら、君のブランドを作ってみようよ」と。彼女は、よく分からないまま同意した。
ブランドといっても、彼女はどこからなにを考えていいのか分からない。そこで次のような発問を繰り返した。「君の洋服は、何歳くらいの人が着てる?男、女?どんなシーンで着てほしい?値段はどのくらい?君がそのブランドのお店を持つとしたら、どんな雰囲気かを考える?」
彼女は楽しそうにそれらの一つひとつの発問に対し、内省しながら丁寧に答えていった。そして、それらの答えを基に、春夏秋冬と洋服をデザインした。
結果、見事彼女の洋服デザインは、準グランプリを獲得。そこからの彼女の変容振りはすごかった。なんでも自己決定し、学習を進めるのだ。
それまでは口数が少なく、自己肯定感も低かった彼女だが、それを機に、資格取得や次なるコンテストに目が行き、次々とチャレンジしていったのである。
結果、NHKの俳句コンテストにも入賞したり、カラーコーディネーターの資格も取得した。
やはり、人はどんな些細なものでも、第三者評価を獲得することで、自信をつけるのだなと思った。
1対多のコーチングは、グループコーチングで可能(中学校教員)
わたしが学習コーチング理論に出会ったころ、担任していた組は男女間の仲が大変悪いなど生徒達は学級集団としてバラバラの状況でした。
おりしも、合唱コンクールに向け取組が始まるころでした。クラス合唱というのは、学級の仲間を信頼し合えないと上手に歌えないものです。ゆえに、練習などもうまく進まない状況でした。
仲間の教員に勧められ、学習コーチングの研修を受けました。その中で、「点数化」のスキルが興味深く、現場で活用してみました。
まず、クラスの仲間への『信頼度』を点数化させ、コーチングを意識した継続的なパートリーダー会を行ったのです。同時に、クラスの班長会でのコーチングも行いました。
それぞれの会で行ったことはほぼ同じです。「君たちのグループの現状の信頼度を、次回のこの会までに上げるためには、君たち自身がどういうことをしなくてはならないと思う?」と問いかけ続けたのです。
この問いかけにより、生徒たちは自分で課題を発見し、解決する手段を考え、実践に移したのです。当初、コンクールに消極的な男子に対して不満を言っていた女子も、積極的に男子に声をかけたり、班で周囲に迷惑をかけている生徒にも粘り強く観察し、対応することでクラス全体に一体感が出てきました。
結果、クラスがまとまり、3月には「クラス替えを行いたくない。」という生徒の声が多数聞かれる学級へと変貌していったのです。
これは、「楽し学校生活を送るためのアンケート(QUテスト)」でも顕著に現れ、理想的な学級の結果となって現れました。
学習コーチングは、まだ研究の途の段階で、特に「1to1」を基調とするコーチングで、1対多の場面における取り組みはまだ始まったばかりです。
今回のようなグループコーチングを取り入れる手法は、一つのモデルになりうるのではないかと思っています。
振り返りシートの導入で、学力向上!?(中学校校長)
アカデミー研究員の方々に本校にきていただき、学習コーチングによる学力向上の取り組みを行いました。
対象は、中学二年の2クラス全員。前学期の成績を基に、後期に獲得したい成績を各自に立てさせました。
それらを学習コーチアカデミーの作成した振り返りシートに記入させ、行動計画を細かく立てさせたのです。
そして、その行動計画について、各生徒が毎朝のホームルームで振り返り、できたときには「5」、できなかったときには「1」と点数化したのです。教員はその結果を毎朝チェック。
途中、教員の負担が大きくなり、アカデミー研究員の方に支援してもらいながら行いましたが、結果的に前期試験の平均点と比べ、1教科が横ばいだった以外、4教科で10~15点向上した。
もちろん、テストの難易度の問題など、いろいろな要素が考えられるので、ひとえに学習コーチングだけの効力とは言い切れません。しかし、途中保護者から「最近、我が家に友達が集まって、勉強に取り組んでいる。いままでこんなことはなかったが、何かあったのか」などの問い合わせが入るなど、定性的な変化も見られたことを考えると、やはり相応の効果はあったと思います。
ただ、やはり毎日のチェックを教員に課すのは負担が大きいので、振り返りシートの中身の検証ややり方などについては、さらに工夫が必要となるでしょう。