教師のコーチングスキルと[入試・AO入試]進路指導なら学習コーチアカデミー

事例紹介

同アカデミーの研究員、および、研修受講者が現場でコーチングをした成果事例、および自身の体験談を紹介します。
  1. キャリア(就活)支援
  2. 学習支援
  3. 生徒・生活指導
  4. 学級経営
  5. 特別支援教育
  6. 保護者対応

キャリア(就活)支援

絶対やりたくない職業を聞くことで、進路が決まる (高校教員)

商工高等学校でキャリア教育をやっております。ある女子学生は、成績優秀で陸上でも県大会に行くほどの成績を修めています。将来は美容師になることをおぼろげながら目指しており、専門学校への進学を口にしていました。教員の私としては、そこまでの学力と体力があるのであれば、体育大学を勧めたいところで、「専門学校は、体育大学に進学したあとも進路変更が効くよ」と伝えると、少しづつ気持ちに変化が出てきました。
しかし、その助言が逆に彼女を迷わせることになったのです。三者面談でも結論が出ず。そこで、学習コーチングの研修で習った、進路未決定者、または、やりたいことが見つからない生徒への対応法を思い出し、彼女に発問しました。「絶対にやりたくない仕事は何?」。すると彼女は、「ニュースキャスター。だって、あんな人前でしゃべるのなんて、自分は絶対にありえない」と。すると、彼女は自分で「あ、やっぱり私は美容師になる。だって、体育大にいくと、多くの人は学校の先生になるんでしょ。私、先生になって子供たちの前に立ってしゃべるなんて、ありえないわ」。
体育大から学校の先生になることはイメージしていたものの、それが、彼女の苦手とする「人前でしゃべる」ということとは直結しておらず、今回のセッションでそのことが明確になったのです。

やりたいことが決まらない、見つからない場合は、絶対にやりたくないことを聞き、逆のアプローチが機能することを経験しました。

相対評価で判明した、学生の強み (アカデミー研究員)

その学生は、ESでは全社通過するも、面接ではほぼ全社落ちるという悩みを抱えていました。真面目なのですが、真面目さ特有の「暗さ」がありました。コーチングセッションで彼のリソースを引き出そうとしても限界がありました。

そこで、私が主宰するコーチングの研修に参加させ、なにかヒントを獲得してもらおうと思いました。すると、研修の初日の昼食後、信じがたい光景を目にすることになりました。なんと「暗い彼」を中心として参加者が盛り上がっている姿を目にしたのです。正直、意外だったのですが、その背景を聞いてみると、彼の動物雑学に周囲が興味を抱き、彼の独壇場になっていたのです。

彼は私とのセッションの時には、その強みを公言することはありませんでした。曰く、「そんな知識、就活とは全く関係ないと思っていたので、お伝えしませんでした」。その後、自己PR,志望理由を動物の雑学を利用したものに書き換えました。すると、案の定、面接官はその雑学に興味を覚え、突っ込みます。

面接の勝負は、アピール力ではなく、対話力です。彼は動物に対する質問に一つづつ丁寧に回答することで、面接の流れをリードすることができ、見事に超難関企業と言われる全国ネットのテレビ局に秋採用の大逆転内定を獲得できたのです。

学生は就活において、何が強みとなりうるか、理解していません。社会人から見れば意義のある経験や知識だとしても、「こんなこと・・・」と、自分自身で勝手に線引きをしています。キャリア支援者の役割は、彼らの口から表出される言葉だけを鵜呑みにせず、彼らすら気づいていないリソースを引き出すことにあります。

私は個人の対話により潜在的なリソースを引き出すことにかけては自信がありましたが、今回のケースは、「対話によるリソースの引き出し」の限界を感じた一件でした。

キャリア支援者を名乗るのであれば、クライアントの言葉だけでなく、「自身でも気づいていない相対的な強み」を引き出すプロでなければならず、それらを発見する機会と環境を提供する必要があると、改めて感じました。

バイト経験を、社会のニーズにブリッジする (アカデミー研究員)

「私はスターバックスで2年間バイトをし、お客様の目線になって、商品陳列や店舗のクリンネスに尽力しました。この経験を活かし、貴社においても、クライアントの目線になって、クライアントに満足していただける営業マンになります。」

たしかに、スタバはビジネス界の中でも秀逸な人事研修を持った企業としてロールモデルとなっている企業です。しかし、学生の彼の認識は甘く、表層的なものでしかありませんでした。スタバの強みを一言で言うと、「マニュアルのないホスピタリティ」と言えます。他のチェーン店が徹底したマニュアル化を敷くのとは対照的に、同社はバイトであっても数週間の研修を課し、その中でコーヒーの知識や入れ方を徹底的にインプットします。その背景には、店舗に来るお客様のニーズは様々であるという考えに立ち、画一化したサービスではなく、お客様との対話中で最善のサービスを提供するというのが、同社のポリシーとなっているのです。

その学生は、同社のミッションやビジョンを十分に理解していたわけではありません。つまり、スタバでバイトを経験するということは、社会が求めている「主体性」を体得しているということをアピールするには、最高のリソースとなるのです。

また、高校のハンドボールのコーチをしていた彼は、それまでのコーチが敷いていた徹底的なスパルタ教育を改め、選手との対話を心がけ、選手に考えさせる習慣を徹底したと言います。彼は特にコーチングの勉強をしていたわけではありませんが、彼の言動を俯瞰すると、すべてコーチングだったのです。

そこで彼を一言で表すキャッチコピーを考え、「マニュアルのない世界で、結果をさせる人間です」としました。企業人なら、このコピーに含まれる意味は十分に理解できます。彼は第一志望群である複数社から内定を獲得することができました。

どんなにユニークな体験、または強みを持っていても、それらを採用側の目線で意味づけできなければ、単なる自己満足に終わってしまします。就活を支援する者は、学生の強みやリソースを抽象化するセンスが必要であることを再確認したケースとなりました。

いじめのトラウマを強みに転換し、逆転内定(アカデミー研究員)

「就活、もうどうしていいのかわかりません」。ツイッターで私のことを知った学生が面談を申し込んできた。広告代理店やゲーム会社を志望するも、ことごとく敗退。煮詰まっていた。

彼は中堅の大学だったが、卒業した高校は通信制の高校だった。その理由を聞くと、いじめが原因であったという。その時は人生のどん底で、死にたいとも思ったと。そんな彼を救ったのが一本のゲームであったという。しかし、彼にとっては暗い過去で、触れられたくないトラウマであった。彼は綺麗な理由を繕いながら、就活に臨んでいた。

私は初対面の彼をその場で恫喝した。「君、なんでその物語で勝負しないんだ!!ゲーム会社にしてみりゃ、そういう物語が一番響くんだよ。そして、君はその逆境に負けず、自分で勉強して大学に合格した。それで十分じゃないか。」

彼の就活はそれから一変した。作りたいゲーム、または電子書籍の企画を30本書き上げ、500枚の企画書を封筒に包み、志望する会社に応募した。

採用を終了しているとか、新卒は採用していないとか、そんな会社の都合はもはや彼にとってはどうでもいいことだった。どうしても行きたい企業4社に応募した彼は、そのうちの1社から内定を獲得した。その会社は新卒をとらない方針だったが、彼の熱意に動かされ、方針を変更したのである。

彼との最初の面談は、コーチングとはほど遠く、指示命令禁止に近いものであったが、それは学生を思う支援者として、本能的にとった行為である。学習コーチの目的は、コーチングをすることではない。相手の置かれた環境を考え、相手の利益になる最良のコミュニケーションをとることである。彼の場合は、残された時間がなく、後がなかった。

後日談として、彼はこう言った。「最初の面談で、コーチが本気で起こってくれたことで、自分にとっては過去のトラウマだった経験が強みになることを知り、自分に自信が持てるようになりました」

その後のセッションは、彼のリソースを引き出しながら、行動計画を立てさせるコーチングにシフトした。途中、行動にブレは生じたものの、彼の軸がブレることはなかった。内定を獲得した彼は、すぐに電話で報告をしてくれた。

「コーチ、僕やりましたよ!」

きっかけは与えられたものの、自分で人生を切り拓いた実感があるからこそでてきた謝辞である。コーチングが機能した何よりの証拠となった。

今時の学生も、昔時の学生も変わりなし(アカデミー研究員)

ある人気職種へ就職を志望する学生200人を対象に講演をしたときの話です。詳細は省きますが、なにしろ講演を80分して、最後の10分を質問タイムにあてた。ところが、誰も手を上げない。わたしは腹が立ったのと同時に、このままではだめだと想い彼らに「喝!」を入れた。

「君たち、xx(業界で一番人気の企業)の競争率を知っているか!200倍だよ。って、ことは、このクラス200人受けて、通るのは一人ってこと。想像できるか?一番光る者しか通らないんだよ。二番目に光ったって落ちるんだよ。もう一つ言っておく。ちなみに、僕がxxを受けたときは、当時の中曽根総理大臣の紹介状を持った人間が80人いたと聞く。そう考えると、紹介状を持ってない人間を探すのが難しいくらいだ。君たちは、そんな競争に挑もうとしてるんだよ。講演の感想一ついえない者は、一次面接だって、とおりゃしない。こういう場でも、自分の考えや批判的な精神を持った意見を言える者じゃないと面接官の印象には残らないぞ!」

それで2、3人がやっと手を上げるくらい。これではだめだと思い、最後、もう一回「喝!」を入れた。彼らの何人かに、どんな就職活動してるのか聞いてみた。いわく、「面接の練習をしています」「会社の特徴を調べて、どういう人間を求めているのかを考えています」「先輩に、どんな活動して通ったかを聞いています」

等々。そこでこう言いった。

「それは就職の技法だよね。つまりコーチング的に言えば、”DO”の部分。しかし、君たちは、xxや△△に入った後に、どんな自分になりたいのかというゆるぎない”BE”はあるのか?”BE”がなければ、どんなに”DO”を磨いても、見抜かれるぞ。面接官は立て板に水のように答える学生がほしいんじゃない。 緊張で震えながらも、魂から”これをして、こうなりたい”というものを持つ学生をほしがってるんだよ。”BE”がないなら、”BE”を探すことから始めろ。順番が逆だ!そんなんじゃ、面接官をうならせることなんかできないぞ!」

就活にスキルは必要だが、それだけで十分条件にはならない。そこに目覚めて欲しかったのである。かなりきつくいったので、講義が終わるとわたしはそそくさと退散しようとした。すると驚いたことに、十名前後の学生が列を作り始めて、挨拶をしてくる。涙ぐむ学生も中にいた。終了後のアンケートの反応も想定外だった。いわく、

「初めて会うわたしたちに、あんなに真剣に向き合ってくれたことに感謝します」「とても熱くてやけどしました」「とても腹が立ちました。佐々木さんにではなく、自分にです。自分には”BE”がないことが分かった。悔しい。すぐに見つけます」 「いつか、あんたを見返してやろうと思う。わたしの名は◎◎です。覚えておいてください」

この経験を通じて感じた。彼らは本気で向き合ってくれる大人を求めているのだなと。 もちろん、半端な気持ちで言うと、反発を買うだけだと思う。しかし、わたし自身、彼らに「喝」を入れながら、からだが震えてきたのを覚えている。「今時の学生は」とよく耳にするが、それは我々大人が勝手に色眼鏡をかけて、怒ることをためらっているだけで、今時の学生も、真剣に向き合えば、必ず通じるものがあると信じたい。

教員の持つ色眼鏡(高校教員)

大学の経済学部に関心のある生徒がいました。しかし、その生徒はいまひとつ、経済学部に進学することに決断できずにいたのです。以前、わたしのクラスの生徒だったこともあり、その決断できない背景を聞きました。すると、

「A先生に相談したら、“君は数学が苦手だから経済学部に行くと苦労するぞ。微分積分、行列などの授業があるからな”といわれました」

と。A先生は数学の先生なのですが、数学の先生が経済を見るとそう捉えるものなのかと気づきました。しかし、政治経済学部出身のわたしからすれば、経済学は生産者や消費者の心理学的分野であり、環境問題やイデオロギーとからめて研究するものであるから、その生徒が経済学に進んでもまったく問題がないと映ります。その点を説明したところ、彼は結局経済学部に行くことを決断しました。もちろん、その後、A先生にはフォローしておきました。

こういうことっていうのは、自分も同じことをやっている可能性がありますよね。わたしが理工学部進学を考えている生徒には、逆に文系的視点から間違った先入観を与えてしまうこともあるかもしれません。ニュートラルな情報提供を心がけるとともに、教員同士の横の連携、特に進路においては絶対に必要だと思いました。

体温の低い学生に機能したリフレーム(高校教員)

最近、自己肯定感の低い生徒が多いことを感じます。進路指導で、「自分のいいところを伸ばそう」といっても、「自分はいいところはありません」と真顔で言う子が多いのです。」

そこでわたしは、自分の長所はないと言い張る生徒に対し、学習コーチングで習った、」「リフレーム」を活用してみました。「じゃあ、君の嫌いなところは?」するとその生徒は、「わたし頭おかしいから・・」と言います。そこでわたしは、「ちなみに、君は将来何になりたいの?」と聞くと、「別に・・・」と彼女。そこでも、研修で習った「枠を取っ払う」という発問を使ってみました。「なんにでもなれるとしたら?」。彼女は答えました。「介護士かな」。

そこでこう続けて聞きました。「じゃあ、介護士になるにあたって、頭がおかしいことがプラスに働くストーリーって、考えられない?」。すると「・・・。わたし、汚いものでも、汚いと思わないんです」と、彼女。これですべてがつながりました。わたしは彼女の目を見て、こういいました。「それって、すごいことじゃないか。介護士になりたいと言う生徒の多くは、“おばあちゃんや、おじいちゃんの笑顔が見たい”というようなことを言うんだ。でも、実際の現場はそんなに甘いものじゃない。汚物の処理で大変なんだよ。でも、君だったら、汚物を処理するときでも、きっと笑顔で処理できるんじゃないかな?」

彼女は少し笑顔を見せながら「そうかもしれません」と言いました。そこで間髪いれずにこう付け加えました。「先生が介護施設の責任者だったら、君みたいな生徒はたくさんほしいと思うだろうな」。するとそれまで机に寝そべって聞いていた彼女は、背筋を伸ばし、こういいました。「ありがとうございます!」。その後、彼女は自分で介護関係の施設のHPにアクセスし、いろいろと調べ始めたのです。自己肯定感の低い生徒への、リフレームは機能すると思いました。ありがとうございます。

進化を見守ってくれているコーチの存在(大学職員)

学習コーチ中級に臨んでいます。まもなく3ヶ月になります。この間、取り組んだテーマについて、わたしの思うような結果がまだ得られていません。そのいらいらする思いをコーチに話しました。するとコーチから次のような言葉が返ってきました。

「xxさんは自分の思うような成果がでないことにストレスを感じているんですね。でもね、3ヶ月間xxさんのコーチをしてきたわたしの感想は、xxさん、確実に進化していますよ。ただ、そのスピード感が、xxさんのイメージするものと違うから遅く感じているんだと思います。大丈夫、ちゃんと前に進んでいますから、このままいきましょう」。

その言葉を聞いて、涙がでそうな想いでした。思うような結果が出なくても、その間の努力をちゃんと見てくれるコーチがいると、前に進めるんだと思いました。

この体験を今度は、わたしと出会った子どもたちにもしてもらおうと思います。ありがとうございました。

調査書開示で激変した生徒(高校教員)

先日、学習コーチングの研修で学んだ「承認」について、10年前にあった話を思い出したので、ご紹介します。(もう、時効だと思うので)

わたしの生徒で、とても生意気でなにかと口答えする生徒がいました。わたしはどうしてもその生徒だけは好きになることができませんでした。しかし、そこそこ成績は良かったので、推薦入試を受けたいと希望を出してきたのですわたしは、渋々彼の希望を受け、調査書を書きました。

調査書の内容は生徒に見せてはいけないことになっていますが、当時のわたしはまだ若かったので、なんとか実績を上げたいと思い、その書いた内容を生徒に見せて説明したのです。当然、悪いことはかけませんから、いいことばかり。すると、その生徒は黙ったまま目に涙を浮かべ始めたのです。「・・・。先生、僕のことをそういう風に思っていてくれていたんだね」と。正直、わたしは「方便」を使ったわけですが、そうとも言えず、「そうだよ」としか言い返すことができませんでした。

変化が起きたのはそれからです。彼はそれ以降、なにかとわたしにその日あったことを報告してくれたり、「なにか手伝うことはありませんか?」と聞いてくるようになりました。

わたしは、うれしいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちで彼と接しましたが、内心、「こんなことだったら、もっと早く彼のことを承認してあげればよかった」と反省しました。

どんな子も、承認されてうれしくないわけがありません。是非、みなさまも、問題行動のある生徒には、まず承認から入ってみてはいかがでしょうか。

可能性を倍にしてくれた教師の承認(高校教員)

教員になるまでの人生で支えになった言葉のひとつに「あなたは先生になりたいらしいわね。あなたならやれるわ。社会の先生になりたいらしいけれど、国語の先生でも十分やれると思うわよ」という高校時代の恩師(国語科)の言葉がある。

高校生のときに反抗期が結構激しく出た私は、世間でいうところの「不良」というレベルではなかったが、校則違反や態度の悪さが重なり、親も複数回校長室に呼ばれているような生徒だった。そういう私でも、というより、そういう私だからこそのいろいろな思いが重なり、(長くなってしまうため、その理由は今回は省略…)高3の夏休みの前頃に「教員になる」という意志を持ち始めた。いつも注意ばかり受けているような生徒であったから、そのような私の意志は、先生方には鼻で笑われてしまうだろうと思っていたのだが、ある日言われたのが、冒頭の言葉であった。

自分の選んだ道を、ベテランの、教養あふれる授業をされる先生が「やれる」と言って下さったことだけでなく、「国語の教員になる」という選択肢は全く持っていなかった私に、「こっちの選択肢でもいけるわよ」と道を2倍にして見せて下さったこと。これが私に大いに自信を与えてくれた。

目標のさらに先を見せる、道を2倍にして見せる、など、コーチングのスキルも大いに活用しながら、目標がある生徒に対しては、さらにエネルギーを与えるような言葉がけのできる教員になることで恩返しができるだろうか。

生徒の鏡になるということ。(高校教員)

環境教育の世界には、「分ければ資源。混ぜればゴミ」という名言がある。学習コーチングでは、これとは逆のキャッチフレーズを提案したい。「分ければゴミ。混ぜれば資源」。

たとえば、服飾系の学部、または会社への就職を目指す生徒の場合であれば、「洋服がすきだから」という理由くらいは思い浮かぶ。しかし、それ以外の動機や志望理由がみつからないことがよくある。かつて、このような進路を目指す生徒に、「たとえば、高校の制服ついてはどう思うか?」などの質問をしたら、「規則の範囲の中で、いかにお洒落をするかということに気を遣っていました」などという答えが返ってきた。すると、それは一つの資源となる。しかし、これだけでは使い物にならない。この時点ではまだ「ゴミ」である。

同じ生徒に、「好きなデザイナーは?」と聞くと、「山本寛斉」という答えが返ってきた。すると、「革新的な日本デザイン」というキーワードが浮かび上がった。これと、前者の「制服の着崩し」という二つのキーワードを掛け合わせることで、生徒の服飾に関する着眼点が「守ることと、崩すこと」であることが整理できた。この時点でようやく生徒にとっての「資源」となるのである。

この生徒は、その点を自分の中でまとめて面接に臨んだ結果、第一志望の大学に合格した。幾つかの質問から出てくる答えをコーチが整理してあげて返す。コーチが生徒の鏡となることで、生徒が自らの資源を発掘してゆくことができた事例だろう。

再受験失敗で、未完了を完了した学生。(大学教員)

わたしは大学の歯学部の教員であるが、学生の自己決定の効力について経験談をシェアしたい。面倒を見ている学生の一人が、様子がおかしい。ある日、見かねて声を掛けた。

「どうした、最近元気が無いがなにかあったの?」すると学生は次のように言った。「ぼくは、本当は医学部に行きたかったんです。このまま歯学部で勉強を続けて歯医者になるのは、本望じゃないんです・・・」。

わたしは受容と共感の姿勢で彼の気持ちを承認した後、「じゃあどうしたいの?」と、聞いた。すると、彼は思いのたけをしゃべった後、「やっぱり、もう一度親を説得して、来年の医学部の試験を受け直す」と、内省した。わたしは彼の意思を尊重し、具体的な行動計画を訊いていった。

学生はその日から毎朝4時に起き、ランニングを課した後、苦手な英語を集中的に勉強していった。その集中力には、周囲も目を見張った。そしてその結果・・・

残念ながら、彼の努力は実らなかった。医学部の試験に落ちたのである。大切なのはここから。わたしはその学生に聞いた。「今、どんな気持ち?」。すると、意外な答えが返ってきた。

「先生、ぼくはこれで気持ちがスッキリしました。やるべきことはやったし、思い残すことはありません。これで歯医者になることに集中できます!」。彼はそれまで以上に熱心に学業に取り組みはじめた。

研修で聞いた「未完了」という言葉。「部屋を掃除していない」「大事なメールに返信していない」といったことがそれだ。一つひとつを見ればたいしたことではないが、多くなってくると、目標達成に向けた行動の足かせとなる。いつも気にかかってしまうのだ。

だから、目標に向かうときには、これらの障害物を取り除いておく必要があるという。「未完了を完了する」ことだ。

前述の学生にとって、医学部への再チャレンジは、人生最大の「未完了」だったのである。わたしはその「未完了」に対する学生の気持ちを汲み取り、指示するわけでもなく彼の意思を承認した。結果、不合格となったが、彼は自己決定し、自己責任をとり、現状に正面から向き合うことができたのだ。このとき、もしわたしが「もうここまで来たのだから、歯科医になるのが君のためだ」と、指示していたらどうだっただろうか。彼は一生歯医者の仕事に疑問を感じながら仕事をすることになっていただろう。

進路選択では、親や学校の意向と本人の意向がぶつかることが多々ある。アドバイスは必要だろう。しかし、最後に決めるのは、人生の主体者である学生自身であることを忘れてはならないなと確認した。

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学習支援

相槌の効果を実感 (アカデミー研究員)

先日、ある生徒とスカイプでセッション(音声のみ)をしていたときのことです。彼女はいつもどおり、生活のことや学習ことを報告してくれていました。わたしもいつもどおり、「うんうん」「それで?」などと、承認と質問を繰り返していました。

すると、徐々に彼女の話すトーンが落ちてくることに気がつきました。「あれ?おかしいな、どうしたんだろう」と思っておりましたら、彼女から「先生、聞いてます?」と質問されたのです。「大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」といっても、反応がありません。よくみたら、わたしのマイクのコードがPCから外れていたのです。あわてて接続しなおし、生徒にわびたことは言うまでもありません。

学習コーチングの相槌や質問が、いかにコミュニケーションの潤滑油になっているかということに改めて気づかされました。特に相手の顔が見えない電話などのコミュニケーションでは、面談以上に「あなたの言うことをちゃんと聞いているよ」というサインを送らなくてはいけないなと感じました。通信制高校の教員は、一般校以上にその点に気を遣わなければなりませんね

結果が出なくても、安心して前に進めた (中学校教員)

わたしは、中学時代に自分が受けた承認についてご紹介します。中学校のころ、わたしは一生懸命勉強しておりましたが、なかなか数字に表れてきませんでした。努力をしていることは周囲の目にも明らかでした。わたしは次第にいらいらするやら、落ち込むやら、落ち着きがなくなっていました。ある日、そんなわたしを見ていた担任が優しく次のように声をかけてくれました。

「君は今、学習台地を築いている時期なんだね」

と。わたしはこの一言ですごくほっとしました。成績は上がらないけれども、この先生はちゃんとわたしのことを見ていてくれる。いまは、台地を築く時期なんだと。どんなに苦しい状況にあっても、たった一言、こういう承認の言葉があれば前に進めるものだと感じました。そして、教員となった今、生徒たちに同じように言って励ましています。

教科書の学習が苦手な生徒へ向けた提案 (高校教員)

バイトをするなど、生活意欲はあるが、学習意欲の面で多少問題のある生徒と向き合った。教科書を使用する学習にはまったく興味を示さない。そこで研修で学んだ生徒の資源の一つ、「興味関心ごと」を軸とした学習ができないものかと、聞いてみた。

「君の好きなことは?」

「別に・・・」と彼。研修でいただいた発問シートの中にあった発問を利用した。「もしも、1億円あったらなにをする?」

「そんなにお金があったら、北海道から沖縄まで、ラーメンの食べ歩きをするかなぁ~」

と。食に対して関心があることが分かった。そこで

「たとえば、北海道は味噌味だし、九州はとんこつ味だよね。このあたりって、多分地方の文化によるものだと思うんだけど、そういうの調べてまとめてみない?」

と提案すると、「そんなんでいいんですか?じゃあ、やってみます」と、こちらの提案を受け入れてくれた。

きつねにつままれたような感じだった。「好きなことはなに?」と聞いても答えられない生徒が、「もしも」の質問で彼の好きなことをしゃべりだす。しかも、即答で。わたしはキャリアカウンセラーの資格も持っているが、学習コーチングで言うところの「資源を掘り出す発問」という視点はなかった。

カウンセリングのスキルに発問のスキルを加味することで、コミュニケーションの幅が広がるような気がした。

やろうと決めた! (高校教員)

3学期は、教室の上部にとりつけられているエアコンの温風が頭部に舞い降り、生徒にとっては、ついうとうとと眠気に誘われる時期でもある。授業で、教科書の内容にからめて、眠いから寝るということが自由なのか、眠くても寝ないということが自由なのかを考えてもらう時間をとった。

発言してもらっているとき、「私は授業中には絶対寝ません」と断言した生徒がいたので、 周りの生徒の参考にもなるかと思い、眠くても寝ないで頑張れるのはあなたの中に何があるからできることなのかと質問してみた。彼女曰く、「寝ないと決めた」からできるのだそうである。「決めたことをやれないのは、自分自身に負けた気がして悔しいから」とのことであった。

結構前から決めたことはやるという姿勢でやってきたらしい。「小さい時に、決めたことをやり通せずに悔しい思いをしたことがあったからではないかと思う」と本人は振り返っていた。

やろうと決めたことをやれずに自己嫌悪に陥ることがしょっちゅうの私は、「決めたことは必ずやれます」と、静かに、そして力強く言う彼女に心を揺さぶられ、以下のことを考える機会をもらった。

彼女のように決めたらやれる人がおり、私のように決めてもなかなかやれない人間がいる。「やれる人」と「やれない人」の間に、また、「決めたことをやれる時」と「決めてもやれない時」の間に、何が横たわっているのだろうか。

今、私が感じていることは、彼女にとって、「やろうと決めた」ということは「やる」ということ

同義だが、私にとっての「やろうと決めた」には、「やる」だけでなく、「やろうと思った」や「やれればいいな」も含まれていたのかもしれない、ということだ。

そういえば、やると決め、実際にやるときの私も、腹をくくり、本当の意味で「やると決め」ている。そこには、「やろうと思った」「やれればいいな」というあいまいさはない。

やろうと決める=やる。このシンプルなイコールである。やると決めるときの彼女も、ここに揺るぎがないのだろう。

彼女の発言は他のクラスメートに刺激を与えただけでなく、「やろうと思う」と「やるという揺るぎのない決意」の間に横たわる溝、そしてその溝を埋めるためのコーチングの活用という視点を私に与えてくれた。感謝している。

次回からの授業や生徒とのやりとりに、この視点を活かしていこうと私は「決めた」。

人脈というリソースに焦点を当てた副産物! (アカデミー研究員)

土木関係に就職を希望する生徒が、数学の自由研究のテーマ選択に悩んでいた。わたしは自分のバイト経験から、すぐに「測量」をすればよいのではないかと頭に浮かんだ。しかし、それでは学習コーチングの言うところの「他者決定」になり、モチベーションが半減するのではないかと思い、彼自身にテーマを発見させたかった。

そこで、彼の資源の一つである「人脈」に焦点を当てさせ、「じゃあ、そのことについて相談に乗ってくれそうな人は誰かいないかな?」と問うてみた。すると、彼は「います。僕が少し前にバイトで世話になった土建会社の社長がいます」と。「じゃあ、どうする?」。彼に決定を促した。「今度のセッションまでにその社長に相談してきます」と言った。

次のセッション、彼は開口一番こう言った。「土建の社長に相談したら、この業界に入るんだったら、測量を勉強しておけといわれました。三角比を勉強するといいんじゃないかと言われました」と。

わたしの予想があたった。しかし、わたしが最初から「測量」を提案するより、彼が「人脈」という彼自身の資源を活用し、彼自身が聞きだした「測量」という答えの方が、何倍も価値があると感じた。

彼は次のことも報告してくれた。「その社長、社会の自由研究についても、僕がバイトで手伝ったお墓の工事について、お墓の作れるところと作れないところの法律的なことを学習したらどうかと言ってくれました」と。こちらが予想していなかった副産物だ。

コンテスト入賞で、動き出した歯車 (アカデミー研究員)

ある生徒が、美術の自由研究で、洋服のデザインをテーマとしてよいか、聞いてきた。もちろん、それで問題はない。しかし、それだけでは十分ではないと思い、どうせなら、その作ったデザインをなにかのコンテストに応募させようと思い、提案した。彼女は二つ返事で賛同した。わたしはそのコンテスト探しから、彼女自身に探させることから始めた。偶然だが、たまたま彼女の愛読している雑誌にその手のコンテストの応募があった。時間的な余裕はなかったが、それに応募することに決める。

そこでもう一つ提案した。「どうせデザインするなら、君のブランドを作ってみようよ」と。彼女は、よく分からないまま同意した。ブランドといっても、彼女はどこからなにを考えていいのか分からない。そこで次のような発問を繰り返した。「君の洋服は、何歳くらいの人が着てる?男、女?どんなシーンで着てほしい?値段はどのくらい?君がそのブランドのお店を持つとしたら、どんな雰囲気かを考える?」彼女は楽しそうにそれらの一つひとつの発問に対し、内省しながら丁寧に答えていった。そして、それらの答えを基に、春夏秋冬と洋服をデザインした。

結果、見事彼女の洋服デザインは、準グランプリを獲得。そこからの彼女の変容振りはすごかった。なんでも自己決定し、学習を進めるのだ。

それまでは口数が少なく、自己肯定感も低かった彼女だが、それを機に、資格取得や次なるコンテストに目が行き、次々とチャレンジしていったのである。結果、NHKの俳句コンテストにも入賞したり、カラーコーディネーターの資格も取得した。やはり、人はどんな些細なものでも、第三者評価を獲得することで、自信をつけるのだなと思った。

毎日の振り返りで、学力向上。 (中学校教員)

アカデミー研究員の方々に本校にきていただき、学習コーチングによる学力向上の取り組みを行いました。対象は、中学二年の2クラス全員。前学期の成績を基に、後期に獲得したい成績を各自に立てさせました。それらを学習コーチアカデミーの作成した振り返りシートに記入させ、行動計画を細かく立てさせたのです。

そして、その行動計画について、各生徒が毎朝のホームルームで振り返り、できたときには「5」、できなかったときには「1」と点数化したのです。教員はその結果を毎朝チェック。

途中、教員の負担が大きくなり、アカデミー研究員の方に支援してもらいながら行いましたが、結果的に前期試験の平均点と比べ、1教科が横ばいだった以外、4教科で10~15点向上しました。

もちろん、テストの難易度の問題など、いろいろな要素が考えられるので、ひとえに学習コーチングだけの効力とは言い切れません。しかし、途中保護者から「最近、我が家に友達が集まって、勉強に取り組んでいる。いままでこんなことはなかったが、何かあったのか」などの問い合わせが入るなど、生徒たちの態度に変化も見られたことを考えると、やはり相応の効果はあったと思います。

ただ、やはり毎日のチェックを教員に課すのは負担が大きいので、振り返りシートの中身の検証ややり方などについては、さらに工夫が必要となるでしょう。

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生活・生徒指導

承認のコミュニケーションから生まれる信頼関係(高校教員)

私学高校で現代文を担当しております。その生徒は高校二年生で、文系下位クラスの生徒です。普段は「現代文はやらなくても…」といった態度で、まじめに授業に参加しない生徒でした。

ある日の授業のことでした。その日は研修授業で、前の授業で問題を解いて添削希望者には提出してもらい、当日は生徒の書いた答えを基に解説をしました。

授業終了後、その生徒がこちらにやって来ました。「提出するのが遅くなっちゃったけど、せっかく書いたから見てほしい」と。初めて添削に出してくれたので嬉しい気持ちの中で解答を見ると、良いものを持っている、良いなあ良いなあ、と。そのことを素直な言葉で綴り返却しました。

変化が見えたのはそれからです。授業を聞きはじめ、再び添削に提出してくれました。自分の思いが通じたのだと感じた瞬間でした。

教師の承認は生徒を動かす。ただし承認の言葉は生徒をしっかりと見つめた言葉でなくてはならない。本気で伝える大切さを改めて感じる経験でした。

好奇心こそが、最高の承認 (小学校教員)

研修を受けて、周囲の先生方がどういうコミュニケーションをとっているのか、気になりはじめ、観察をしています。ある日、一人の先生が5年生の子どもと話しているときのことでした。彼は週末に家族と一緒に、新しくできた近所のアウトレットパークに行ったことを楽しそうに先生に話していたのです。

わたしがそこで気づいたのは、その先生が、子どもの話をとても楽しそうな表情で共感し、質問していることです。研修で、バックトラッキングや承認のスキルは学びましたが、はたして自分はその先生のように、表情まで気を遣って、承認を現わしているだろうかと気になりました。

後でその先生に聞くと、彼もずっとそのアウトレットパークには行きたいと思っていたみたいで、自然に好奇心となって質問しただけだというのです。研修で講師が、「子どもにとって一番つらいのは、怒られることじゃない。無視されることだ」と言われていたのを思い出しました。そう考えると、相手に対して好奇心を持つことが、最高の承認になるのかもしれませんね

Iメッセージは、自己改革を求められると痛感 (小学校教員)

研修で習った「Iメッセージ」の承認を試みています。すぐに生徒に変化が現れているわけではありませんが、自分の中で変化があります。

研修でも触れていましたが、いままで「YOUメッセージ」で承認できていたことが、いざ自分を主語に「Iメッセージ」で承認すると、相手の目線にならなければなりません。最初は違和感がありましたが、慣れてくると、なんとなく生徒と同じ目線になれる自分がいます。「あ~、この生徒はきっとこういう気持ちなんだろうなぁ」と共感することができるようになりました。つまり、いままでの「YOUメッセージ」には、共感がなかったのではないでしょうか。

信頼関係を急いで築こうとする危うさ (アカデミー研究員)

不登校の生徒と向き合い、失敗した経験を紹介します。他山の石としてください。その生徒はちょっと気難しいところがあり、前籍校でも先生が対応に苦慮していたとのことでした。

わたしは相手のことを知るために、無人島の質問をぶつけてみました。すると、彼女の発した五つの答えの中に、「ビューラー」という答えが返ってきました。

女子生徒の中には、「化粧品」と答える生徒は何人かいますが、具体的に「ビューラー」と答えた生徒は初めてだったので、「どうしてビューラーなの?」と聞くと、「米国の女の子の友達の影響かもしれませんね」と。彼女には、1年間、米国の高校に留学した経験があったのです。わたしはそこで、承認の意味で「変わってるねぇ~。そういう発想は日本の高校生にはないんじゃないかな。面白いなぁ~」と伝えました。その場はそういった会話で終わったのですが、それ以降、彼女はわたしからの電話やメールには一切答えなくなったのです。

後日、お母さんから聞いたところによると、「あの先生は、わたしの価値感や人間性を勝手に決めた」として、違和感を覚えたそうです。その後、コーチを変えて欲しいという申し出があり、彼女とはそれきりになりました。

当時は、「あの生徒は人間不信だから仕方がなかった」と、自分に言い聞かせていました。

ところが、先日テレビでアーチストのアンジェラ・アキさんの特集をしていたとき、次のようなコメントがあり、ハッとしました。

「わたしはハーフだから、小さいころからずっと、いろんな人から“あなたは目鼻立ちがはっきりしていていいね”とか言われ続けていました。その人たちが褒める意味で言っていたことは分かっていたけど、わたしには苦痛で仕方がなかった。わたしは、周りの友達と一緒の制服を着て、一緒に見られたいといつも思っていた」

と。個性が求められる時代だから、人と違っていることは最大に武器になるわけですが、人の背負ってきた背景によっては、必ずしもそれが承認にはならないことに気が付きました。

教員と生徒は最初にボタンのかけ違いをすると、なかなか修復が不可能です。特に難しい生徒には、一気に距離をちじめるより、多少、物足りなさを感じてもらうくらいに、時間をたっぷりかけて距離をちじめるべきだと感じました。

沈黙は「金」なり (中学校教員)

「沈黙」について、興味深い体験があったので、お伝えします。ある不登校の生徒と電話で話していたときのことです。彼は、入学早々不登校になったので、わたし自身、彼女のことはあまりよく知りませんでした。そこで時間を見つけて訪問したりしましたが、その生徒は寡黙な子で、こちらが質問してもなかなか答えが返ってこないんです。30分訪問しても、会話は二言三言のみ。あとは、母親との話に費やされていました。

ある日のこと、電話で彼女と電話をしていたときのことです。わたしは進路についてどんな希望がるのかを聞いてみましたが、そういう子ですから、当然のごとく「別に・・・」と答えるだけです。そこで、選択肢を与えることでヒントを得ようと思い、次のように聞きました。「たとえば、xxさんが好きな音楽の世界か、料理の世界だったら、どっちに行きたい?」。すると、いつもどおり、沈黙が続きます。

それまでは、30秒くらい待って返事が来ないと、すぐに違う質問をするなどして、いろいろと試していましたが、その日はたまたまわたしの体の調子が悪かったため、頭が回らず、沈黙の状態がいつもより長く続いたのです。

90秒くらいは続いたと思います。頭がボーとしたわたしですが、さすがにこのままではまずいと思い、次の質問を考え始めたときのこと。彼女が長い沈黙を破り、「・・・料理かな」と、ぼそっと返答したのです。

わたしはその出来事に衝撃を受けました。彼女は、会話ができないのではなく、沈黙している間、ずっとわたしの質問に答えを探していたということに気が付きました。

研修の中で、「人は、しゃべりながら考えを整理する人と、考えを口にせず、整理したあとで一言で答える人がいる」という言葉を思い出しました。彼女は明らかに後者のタイプなのです。しかも、それが人の数倍時間が必要なタイプなのです。以来、彼女の沈黙には粘り強く対応しています。ある日、そのことについてお母さんとお話していたときのことです。意外な事実を聞かされました。

「以前、娘に対応してくれたカウンセラーの方は、娘の沈黙が待てず、“わたしのこと嫌いなのかな?”と一言娘に口にしたことがあります。それ以来、逆に、娘のほうからそのカウンセラーに気を使って、面会を拒むようになったんです。先生のように娘の沈黙に付き合ってくれる方だと、ちょっとづつ心を開いてゆけるのですけどねぇ~。でも、そんなのなかなかお願いできることじゃないし(笑)」

と。わたしはカウンセラー以上に聞き上手なの?と、内心うれしく思ってしまいました。もちろん、いつも沈黙を待てるほど余裕があるわけではないのですが、彼女の中に答えがあるものと信じ、これからも向き合ってゆきたいと思います。

話すは、治る。(高校教員)

わたしは通信制の学校に勤務するものです。本校のある生徒が、数ヶ月間もの間、経済学部に行くか教育学部に行くかを迷っていました。彼はセルフコースといって、自学自習をするコースなので、だれも相談にのってくれる人がいなかったようです。

たまりかねた彼は、以前授業で面識のあるわたしのところに尋ねてきて、彼の不安な気持ちを吐露しました。わたしは黙ってうなずき、彼の迷っている気持ちに共感して、ただただ、聞いてあげたのです。

すると不思議なもので、特になにかのアドバイスをしたわけでもないのに、彼は「こうやって聞いてくれる人がいるだけで、なんか違いますね」といって、すっきりとした表情をして帰ってゆきました。

研修で講師が教えてくれた、「話すは治る」という言葉の意味が分かりました。指導は生徒のことが分からないと簡単にはできませんが、聞くだけなら誰にでもしてあげられます。今後は、いい「聞き屋さん」になってあげようと思いました。

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学級経営

目標設定は、肯定語で。 (小学校教員)

研修で学んだことが目の前で起こった。先日、友人が監督しているバレーボールの練習試合でのこと。ゲームはかなり接線で、ジュースにもつれ込んだ。友人のチームにサーブ権が移った。そのときである。「絶対に外すなよ」。選手のサーブはネットに引っかかり、相手に点数が入った。これで流れが相手にいき、そのセットを落とした。

研修中で講師が紹介された、大脳は否定語を区別できないと言われるものだ。「サーブを外すな」と言われ、そのサーバーは、自然にサーブを外すイメージをしてしまったのではないか。

その後、すぐにわたしの学級目標を見直した。いくつかあるうちの一つに、「授業中おしゃべりをしない」というものがあった。すぐに「授業中は先生の話に集中する」と書き直した。子どもたちに「どっちの目標の方が、毎日見ていてやる気になる?」と尋ねると、ほぼ全員が肯定語を使った目標のほうを選択する。ちょっとした言葉遣いで、モチベーションが上がることを確認した。

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特別支援教育

証人になることが、承認になる (アカデミー特別研究生)

私は、ティーチングだけでは、どうにもならない生徒でありました。「指示」をうまく聞くことができずに、いつも、見えないところでストレスを抱えていました。それに従うことができなければ、当然、怒られてしまう。しかし、どう頑張っても、要領よくこなせず、いつも、周囲をイライラさせていました。そうならないように、必死で誤魔化す術ばかり学んでしまい、学校での学習という面では、どんどん遅れをとってしまいました。

「頑張りたいけど、頑張れない」悔しかったです。それでも、私は先生たちに『教室以外』では本当に暖かく対応していただけました。だから、先生たちには大きな尊敬を感謝の念を持っております。

しかし、教室では、結果が出せないと、やはり、疎外感とか自信喪失などのことが起こってしまいます。プロセスに焦点が当たることはありませんでした。私はなかなか、結果が出せなかったため、ひどく頭を抱えていました。もちろん、全て が、学習障害のせいだなんて、思っておりません。あくまで、学習障害とは、私の一部 分であり、私の全てではないからです。

しかし、「指示がうまく聞き取れない」「ルールがいまいち、理解できない」「文字の読み 書きがうまくできない」などということは、大きな負荷になっていたことを今でも忘れ ません。

いつも、周りの動きばかりを気にして動いていました。うまく先生の言うことが把握できずに周りの動きを随時確認しながらだと、とても勉強どころではなく、学校にしがみつくことで、精一杯だったのです。毎日、過度の緊張をしながら、学校生活を送っていました。

わたしのコーチは、『教育』の「育」はコーチングとおっしゃいました。ティーチングとコーチングの両輪どちらが欠けてもいけないと。そのコーチングこそ「プロセス重視」なのです。

もし、学校生活を送っていたときに、コーチの「承認」「棚卸し」があったならば、不登校になる前に一度、立ち止まって冷静に自分自身を見つめ、自信喪失の前に、「まだ、できることがある。」という希望を持って学校生活に挑めたのではないかと思います。

不登校になり、学校という行き場しかないと思っていた私は、真剣に「生きること」について、考え始めました。しかし、「学校に行っていない」=「何もしていない」「怠けている」というレッテルばかりで、その不登校の時期に何を思い、どうやって生き抜いていこうかと考えている自分は、まるで存在価値がないかのような感覚でした。

自分の胸の内を話しても、なかなか、「承認」してもらうことができずに全てが嫌になった時期がありました。今、不登校の子ども達に求められているのは、「生きていてもいい」という、人格をまるごとを承認してくれて、そして、その先に光を差し込んでくれる存在であると思います。隣で寄り添ってくれる存在は、自分の歩いてきた道、現在歩いている道、今後歩いて行く道を確かに見届けてくれる、「証人」になると確信しています。

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保護者対応

過保護な保護者に対する「もしも」の発問 (中学校教員)

わたしのクラスに発達障害を持った生徒がいます。彼はとてもナイーブな子で、口数は多くありません。性格的なものもあるでしょうが、気になっていたのが母親の存在です。母親はその生徒をすごく心配していて、いろいろと学校や担任であるわたしにもリクエストしてきます。

もちろん、生徒のために参考になる助言や指示は受け入れているつもりです。しかし、その様子が少し度が過ぎていて、なにかと子どもの先回りをして自分が生徒になったような態度で、生徒の代弁をしてくるのです。

学習コーチングの研修のなかで、視点の転換や新しい発想を促すために機能する「もしも」の発問が紹介されていました。わたしはその母親が来校したときに、次のような質問をしました。

「おかあさんがxx君のことをご心配されていることはよくわかります。学校にいると分からないので、ご心配ですよね。(承認)でもお母さん、もうちょっとxx君に気持ちを表現させた方がいいと思いますよ」。

お母さんはこう言います。「先生のおっしゃることは分かりますが、あの子、自分ではなかなかしゃべらない子なんですよ。分かりますでしょ」そこでこう発問しました。

「たしかにそうかもしれませんね。でもお母さん、もしもお母さんが今日学校から出て家まで帰る途中に自動車事故にあって不幸にも死んでしまったら、xx君はどうやって生きていくんですか?」

お母さんはなにも答えられませんでした。その後、どうやったらその生徒がわたしに話しやすくなるかという問題解決に焦点が行き、きわめて建設的な懇談をすることができました。「もしも」の効果ですね。

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